日韓国交正常化50周年記念
「伝統音楽協演の夕べ(忠清南道-熊本県)」
公演を終えて
平成 27(2015)年 6 月 26 日(金)熊本市民会館にて、日韓国交正常化 50 年を記念し、「伝統音楽協演の夕べ(忠清南道-熊本県)」と題し、日韓両国の伝統楽器による大規模な音 楽会が行われました。
熊本県と忠清南道との地域間交流を背景に、音楽を通した日韓交流を目的とした演奏会 で、両国演奏家、舞台・ボランティアスタッフ総勢約 100 名と 1200 人におよぶ観客で会場 は燃え上がりました。
舞台は国交正常化 50 年を記念して、両国の伝統音楽家 50 名で構成された『日韓伝統オ ーケストラ』に加え、ゲストにサムルノリ 4 名、両国の民謡歌手 2 名、日本舞踊7名によ る総勢 63 名によるエキサイティングなステージが繰り広げられました。
終わって一ヶ月経とうとしている今でも、各方面より感動と称賛の声が届いています。
これまで支え導いて下さった多くの方々、特に日本と韓国の懸け橋となり長年地道な交 流を続けて来られた皆様方のご理解とご協力に心より厚く御礼申し上げます。
困難を乗り越えて
国際交流事業はどこも同じように困難を抱えていると思いますが、当事業も例外ではあ りませんでした。
日韓関係が逆風の下、2013 年 4 月、忠清南道公州市に日本奏者が招聘された時期は、朝 鮮半島が緊張状態にあると連日報道で伝えられる中での訪韓となりました。
2014 年 5 月の日韓伝統オーケストラ結成記念公演の直前にセウォル号事件、2015 年 6 月の日韓国交正常化 50 年記念公演の直前には韓国内に流行した MARS で、どちらも韓国 内のイベントが自粛され、韓国奏者の来日への心配や、集客など大きな影響がありました。
また、当然ながら経済的な面でも大きな壁が立ちはだかりました。
2014 年の日韓伝統オーケストラ結成記念九州公演を行うにあたっては、日本で初の試み としてゼロから立ち上げた初めての事業で、熊本・福岡・佐賀三県 10 公演と民間でやるに はあまりに大規模すぎて、助成支援を受けたものの結果的に大変な赤字を出しました。
最終的に全ての残務処理が終えたのは半年後でしたが、それから少し経って、私に一本 の電話がありました。
在福岡韓国総領事館から忠清南道熊本事務所を通して、「昨年の日韓伝統オーケストラの 演奏会は大変素晴らしいものでした。国交正常化 50 年の今年に相応しい芸術文化交流なの で、忠清南道と姉妹都市である熊本でコンサート開催ができるようぜひ力を貸して欲しい。」と相談されました。私を信頼して相談して下さったことに対し、これまでの苦労が報われ るような嬉しいお話でした。しかし一方では昨年の経験から現実的なリスクを考えたとき、それを受けとめるだけの資金がなければ、日本での開催は難しく、せっかくの国交正常化 50 年という日韓交流の大切な機会もあきらめざるをえません。
しかも、韓国側の事情によれば公演予定は 6 月に組みたいとの希望でしたので、十分な 準備期間もありません。日韓伝統音楽交流事業実行委員会としては、昨年行った大事業の あとで、今年さらなる助成の支援を得ることも難しい状況下にありました。
決断を後押ししたもの
果たして「日韓伝統オーケストラ」の公演ができるのか、できないのか...?
両国にとって国交正常化 50 年の大きな節目となる事業に、初期の段階で見極め、判断し なければならない場面に直面しました。
最終的に決断の決定打となったのは、締め切りギリギリに出した日韓文化交流基金の助 成決定通知を受け取ったことでした。日韓文化交流基金に底辺から支えて頂いたおかげで、 精神的にもなんとか最後まで乗り切ることが出来ました。
決断後は、熊本県、熊本市に相談し、日韓文化交流が「伝統楽器」を軸に推進できるよ うに具体的な提案をさせて頂きました。熊本市は、全国邦楽コンクールを行う都市として 全国的に有名で、邦楽による文化発信を推進している歴史があります。また韓国の蔚山町 と姉妹都市締結 5 周年ということもあり、熊本市・熊本市文化事業協会が共催となる事が 決定し、会場施設に関する全面的な支援を得ることができました。これにより、リハーサ ル、本番の演奏会場、会議室、滞在期間中の楽器保管、照明・音響費、広報などの大きな 問題が解決しました。また、忠清南道と熊本県の姉妹都市 34 年、燕亭国楽院のある公州市 と熊本県玉名郡和水町が姉妹都市 38 年という長年の友好交流の歴史があったことから、熊 本県国際課からも協力を得て、韓国演奏団への歓迎晩餐会を熊本県公式行事として開催さ れることになりました。この他にも徐々に支援の輪が広がって行きました。
現場で知ることが国際交流
韓国と日本は年度のスタート時期が違い、イベントに要する準備期間のサイクルも韓国 は短期間で即効性があり、日本は長い時間をかけて周りのコンセンサスを固めながら確実 に進めていくという傾向にあり、そのどちらにも良さがあります。事業を成功に導くため の作業の中で色んな事例にぶつかることを繰り返しながら、両国の考え方や慣習に違いの あることがだんだんとわかってきました。
その違いの狭間にいて、まだ実績もない中で、いかにこの事業が公のために有効性を持 つものであるのか、そのことを丁寧に説明しながら周辺へ理解を促し、信頼を一枚一枚積 み重ねていく努力をする以外、民間交流を推し進める方法はないと思いました。
結局、当事業の資金確保は最後まで困難を極めましたが、ひとつの問題に対して、あき らめずに投げかけて行くことで、周りに少しずつ理解が広がったり、人との出会いで思わ ぬ良い方法が見つかったり、難問解決への糸口がほどけていき、ハードルをひとつずつ乗り越えて行くことができました。 このことは私にとって現場の中で真の国際交流を学ぶ良い経験になりました。
奏者同士は磁石のように
熱狂と興奮に満ちた会場で、両国にとって初めての伝統楽器によるオーケストラが結成 され、歴史的な歩みを進み始めています。日本国内から、韓国から、熊本に集結した両国 の音楽家は、お互いに抱きあったり、手を取り合って再会を喜び合いました。演奏家同士 は、お互いの心が磁石のように引き合っているのです。
国の歴史が違うように、音楽にも国境はあります。しかしこの空間は、お互いの特色を 尊重し合いながら、それぞれが奏でる 1500 年來の古の響きが一つになって共鳴し、二つの 国を凌駕します。音の波動はそれぞれの奏者の中で響き合い、奏でるものも、聴くものも 一体となって心が繋がっていきます。
両国の伝統楽器により未来に向かって新しい作品を創造し、それを次世代の子供たちに 繋げて行く一筋の道がここに生まれました。
私も一人の箏奏者として一本の指揮棒に心を合わせて音を放った瞬間、すべてが喜びに 変わり、渦巻く音の中で時の経つのを忘れました。
「信頼」が一筋の光
国際交流は混沌とした中で、闇の中を手探りするしかないことも多いですが、「信頼」が 一筋の光となり、まわりの人に支えられて一歩を進むことができます。
地方における国際交流は、実は足元にたくさん出来ることがあります。また、地域で支 えられているからこそ出来ることもあります。自分に出来る限られたことしかやれないけ れど、やってみる気持ちがあれば、何かの形で次に広がるのではないかと思います。
現代に生きる私たちができる小さな一歩を踏み出して、そこから未来へと子供たちにバ トンを繋げて行くことができればと願っています。
2015年7月22日
日韓伝統音楽交流事業実行委員会
実行委員長 藤川 いずみ